天空の縁側

天空の縁側

作曲家の目を通して、アートや日々の出来事などをあるがままに綴っていきます。

即位パレード

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本日は即位パレードでした。猫目石一家はあまり関心はなかったのですが、昨日六本木のスーパーに恒例の週末ショッピングに行きましたところ、「明日の配達は時間のお約束ができません」と言われました。

われわれは明日の早くに必要な物品はありませんでしたので、「いいですよ。」といい、戻ってまいりました。本日の配達は10時半頃していただきまして、スムーズでした。配達のお兄さんに伺ったところ「すでに交通規制してますよ。何が起きるかわかりません。」とおっしゃってました。早めに頼んでおいてよかったです。午後からだったらおそらく夕方になったでしょうね。

猫目石一家は、午後からトイレ掃除をはじめました。一段落ついたところでtwitterを拝見しましたところ、青山一丁目から乃木坂まで手荷物検査の行列が続いています」との書き込みをみつけました。ばぁさんはめんどくさがりなので、金平が外を見にいくことにしました。

いつもは静かな乃木坂がざわついておりました。警察の車両が片側を封鎖しておりました。でも、外人さんがジョギングしていたり、逆方向の六本木に行く人なども多いように思いました。>即位のパレードが始まる前。

twitterによれば、乃木坂駅が人で溢れていたようですね。われわれ出不精になってしまいまして、よその土地に行くことも少なくなっています。>特に渋谷方面 そのため乃木坂駅構内に入ることもあまりないのですけれど、街全体が混み合っていることなんて、数えるほどだと思いますよ。

 

出不精の件。

猫目石一家、まさか義理親の介護にこれだけ時間をとられるとは、以前は思ってもおりませんでした。自由がきかず、心が重い。いつかは終わることでしょうけれど・・・今後の見通しがつきづらいといいましょうか・・・施設に任せていたとしても、放置して遠出することは到底無理でありますね。しかし、最近仏教に触れ、マインドフルネス瞑想を実践してからというもの、少しづつ生きることが楽になってきております。義理母の面倒をみるのも、未来につながる何らかの出来事なのでしょう。

突然ばぁさんが愚痴を吐き出しまして、すみません〜 

で・・・われわれもネットで即位のパレードを見ることにいたしました。いつもの見慣れた道を映像で拝見いたしますと、美しくみえますね。赤坂支所(役所)もみえましたし、赤坂郵便局も見えました。青山一丁目交差点あたりには人が溢れかえっておりましたわ。映像の世界ではありながら、見られて良かったやもしれません。次回はばぁさんは生きながらえておるかどうかもわかりませんし、金平はよそのうちに養猫に出されているやもしれません。

一人と一匹でみるのは、これが最後でしょうか? 

あちこちに話が乱れ飛んでおりますが・・・即位の礼の日。多くの方が書いておられますが、不思議なことが起こりましたね。猫目石家もそれを体験いたしました。


東京・お台場の空に虹 「即位礼正殿の儀」に晴れ間【藤本万梨乃】

 

上の映像にありますように、午後1時頃に突然雨が止み、青空が広がったのです。このとき、豊福一家の猫さんがひょっこりと顔を出してくださいました。

「金平さまご無沙汰しております。突然晴れましたね。天照大神さまも祝っておられます。」

「あれ、豊福三郎さま。お久しぶりです。やはりそう思われますか?天の岩戸が開いたとわれわれも睨んでおりますよ。」

「令和は良き時代になるでしょうな。天皇さま、今までになくできたお方だと猫仲間でも話題にのぼるほどです。」

「ばぁさんの話では、悪口を叩いておる人もいるらしいですがね。」

「きっとその方たちは、おヒマなのでしょうな。それともご自身が恵まれていないので、憂さ晴らしでしょう。そのうち忘れますよ。さて、豊福のうちでは本日、令和を祝って食事会をする予定でして・・・準備がございます。また伺います。」

「そうですか?もっと天候が良くなりましたらゆっくりお話ししましょうや。遊びにおいでくださいませ。」

「ありがとう存じます。」

そういって、三郎氏は去っていきました。猫族も祝福しておる、令和の時代の幕開けです。

 

 

義理母 不思議体験

先週、義理母のところに見舞いにいってまいりました。義理母、認知症とのお墨付きをもらっておりますが、100%ではないようです。記憶が曖昧なときもありますが、たまにものすごく理解力があり、驚かされる時もあります。

 

先週も、猫目石一家のピアノ演奏(オリジナル曲で)を聴かせたところ、「この曲は、物語になっているの?」と尋ねました。金平は「そのとおり!この曲はポエムと連動させているんだよ。今聴いてるとこは、嵐が静まっていって星が落ちてくるところだよ。」と説明しておりました。後ほど、われわれ「ばぁさんって曲がわかるんだね。一度も聴いたことのない曲でも、理解できてる92歳ってすごい。普通なら先入観とか、権威で判断するのにね。」と盛り上がりました。

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このように、直感が鋭く、多少の霊感があると思われる義理母。口をもごもごさせながら「最近怖いことがあったの。どう説明したら良いのか、難しいけれど・・・寝ている姿を自分が見ているの。」と言います。「もしかして天井から下を見下ろしているの?」と金平が尋ねましたところ、「そうだ」と言います。

 

「それはばぁさんのもう一人の自分が抜け出して、天井からみていたんだよ。われわれ最近とある仏教のお坊さんの話の中で、同じ場面を体験した人が紹介されてたよ。その人も怖くて、真実が知りたくて、あちこち訪ね歩いたらしい。何年か経って、ようやくそのお坊さんのところにたどり着いて、納得できる答えをもらったんだよ。」と金平に教えられておりました。多くの方は義理母のことを、重度の認知症と思われるかもしれません。しかし、全く違っておりました。下記をごらんくださいませ。

gendai.ismedia.jp

 

 宗教には、肉体は滅びても魂は永遠じゃという考え方がありますわね?これは、魂=もう一人の私という考え方でして、もう一人の自分に出会うためには、今いる場所から出る必要があると説かれております。上記リンクによれば、脳の中には、自分を外側から見る回路があるんだそうです。ということは、宗教と脳科学には共通項があり、宗教は非科学的だと頭ごなしに切り捨てることはできないと思いました。

 義理母は、なんらかの原因により、自分を外側からみる回路が強まったのでしょうね。臨死体験をした方が、義理母と同じことを書いておられましたので、われわれも「義理母は死の世界に一歩近づいたのか」と少々悩みましたが・・・ニュアンスが違ったようです。

相変わらず食欲旺盛でして・・・猫目石のばぁさん、おいしそうなものを選びつつ、金平に背負わせて運ばせております。

 

ひとつ不思議に感じるのは・・・われわれがマインドフルネス瞑想に手を染めてから、義理母が幽体離脱体験をしたことです。のようなものが、義理母に伝わったのやもしれないとも感じているんです。→道元の遺言の一つに「不忘念」という言葉あります。いつも本当の自分(魂の自分)でいなさい。ということです。要するに自分をいつも外側からみつめていなさいということです。

今後の猫目石一家にとって最重要な事柄を、92歳の義理母が体験を通して教えてくれたのだと信じております。

猫族、人族という垣根を超えて、以心伝心ってあるのだとも実感いたしました。義理母との深い縁を感じた日ぃでございました。 

 

マインドフルネス瞑想の効果

何事も続かない猫目石一家でございますが、マインドフルネスの瞑想だけは続いています。すでに1週間以上、1日/20分瞑想しております。下記、山下先生の「マインドフルネス✖️禅」を参考に、以前にやっていた活元運動を加えるときもあります。

山下先生の瞑想方法は、禅宗+テーラワーダ仏教の良いところを組み合わせて、独自に開発した「ワンダルマメソッド」というものらしいです。最近はこの本も少しづつ読み込みまして、肉体をもつ自分と魂の自分の2重構造についても理解できるようになってきました。

宗教はうさんくさいとか、現実的じゃないと思うのは、大衆猫に理解できるように指導できる方が少なかったせいではないでしょうか?猫目石一家も、少し前まで瞑想などと言われただけで、猫パンチをお見舞いして立ち去っておりました。(瞑想といえばスピ系の高額セミナーが頭に浮かぶからです。今でもスピ系は嫌いですけれどね。)

ただ、亡き義理父が森田療法東福寺の近所にあった三聖病院)で救われた経緯があったり、先祖が寺だったものですから、禅にはそれほどの違和感はありませんでした。禅の教えは日本猫の生活に根付いているやもしれませんわ。

 

で・・・・瞑想の効果ですが、如実に表れてきておりますよ!

猫目石ばぁさんの右目(軽い白内障 強度近視 飛蚊症は非常に悪く、昨年の秋くらいから結膜炎(アデノウイルス結膜炎も含む)、角膜の傷、目がしょぼしょぼするなど、目薬が手放せない状態が続いていました。しかし現在は右目を意識することがなくなりました。本当です!!!金平もびっくり仰天です。眼科に行って目薬をもらう必要が(現状では)なくなってしまいました。→綺麗な目をしているんですよ!

すでにばぁさんの同級生は白内障の手術を受けておられますが、以前のようには見えないとのこと。Lineでチャットしていても時々、とんでもない絵文字を送ってこられるので不思議に思っておりましたら、指先が見えないそうなんですね。まぁ、年寄りだから仕方がないと思いつつ、ばぁさんは不安に思っておったそうですよ。

目の悪すぎるばぁさんは、普通の手術が受けられるかどうかもわかりませんしね、将来を不安視しておりました。この不安がなくなった(全く目が痛まず、不安感がない)のは、われわれにとっては嬉しい出来事なんです。

 

他には、以下の記事に書きました坐骨神経痛。左足裏だけがしびれる症状はほぼ完治だったのですが、瞑想を始めてからというもの、靴に大きく緩みが出始めました。しびれが出てくる2年ほど前から、時々左足が腫れており、靴がきついと感じることが多かったのです。

mizuki-shiro.hatenablog.com

 

もともと猫目石一家は、一般より手足が小さく生まれついておりますのに、ワンサイズ大きな靴でなければ痛くて歩けないって、おかしいですよね?今は元のサイズよりもっと足が痩せたやもしれません。靴がゆるゆるです。歩いていても、足を意識することがなくなりました。

 

他には・・・急な坂道を登るとき、ばぁさんはひぃひぃ言っておりました。それが今は、しっかり坂道に足をくっつけて楽そうに登っておるのです。腹筋運動をしたわけでもなく、特別な運動をしたわけでもありませんのに・・・これは瞑想の効果としか考えられません。痛めた腰が完治したのやもしれません。

 

下っ腹が小さくなりつつあることもあげておきます。メタボの方にも効果ありそうですよ。こういうのって、ダイエットしてもなかなか難しいのですけれど・・・いつの間にか小さくなっておるのです。腹式呼吸の影響でしょうか?

 

集中力がつきましたね。これは身体が良くなってきたせいもあると思います。

他に、夢をみなくなったこと。睡眠の質が良くなったのだと思います。ほんっとうに、いつ寝たかわからないほど寝入っているんですよ。

 

不安、病、心配などは自分が作り出したものだと、山下先生のご本には書いてありました。自分で作り出したものであるから、自分で刈り取らなければならないとも思いましたね〜 実際刈り取って、結果が出ているのですから、この瞑想はわれわれに向いているのではないかと考えております。

 

そして・・・最近は猫目石一家の創作した音楽をかけつつやっております。すごくリラックスできますね〜 他の方もわれわれの音楽は寝落ちできると言われましたので、ストレス解消、自律神経を整えるなどの効果をもっておるのやもしれません。

 

決して癒し系ではないのですが・・・大げさにいえば、魂の救済に通ずるところもあるやもしれません。こういうのって、マインドフルネスをやって気づいたことです。

なんだか、いろんなことにつながっていきそうですわ。

 

他にももっと不思議な現象もあるのですが、あまり長くなってもみなさんのご負担になりますので、記事を改めて書きますね。あ、スピリチュアル的楽曲分析は今やっておる最中でございます。もう少しお待ちくださいませ。

 

お迎えが来つつあるのか?

猫目石一家、92歳義理母の見舞いに相変わらず通っておりますが、だいぶ方向性が変わってきたように思います。多少は楽になりました。

 

ちょっとくらい施設の職員さんに怒られても、文句を言わなくなりました。1年前はかなりの文句屋でした。→ボケが進んだのかもしれません。

 

また、猫目石家の生活が今月から変わり、前の晩に夜更かししても、無理して起きる必要がなくなったことも一つの理由です。以前は義理母の施設訪問の日は、常に寝不足でした。加えて、マインドフルネスの瞑想が効いていると思います。>如実に!(これはまた後ほど記事にいたします)

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義理母、先々週までは、義理父が亡くなったことをどうしても認められなかったようです。ところが亡き義理父が上機嫌で夢に現れたようでございます。義理母は夢と現実とが混在しているらしく、「パパさんがきてね〜」とまるで生きているように話しておりました。「パパさんはどこかの施設にいるの?」と、金平に質問しておりましたよ。

 

金平は何度も「パパさんは2017年に亡くなったよ」と教えてあげましたのにね〜 

 

少し前には、義理父の顔も忘れたと言っておりましたのに、ゆで卵が大好きだったことを思い出したようです。記憶がまだらなんでしょうね。

 

われわれ、義理母の記憶力テストのために2週続けて「パパさんが来たんだって?」と質問してみました。認知症は短期記憶ができないといいますね?それなのに義理母、しっかり覚えておりました。

ということは・・・もしかしたら亡き義理父のお迎えのはじまりではないか?とも思い始めました。

 

お迎えが来なければ、絶対に向うの世界にはいけないそうです。どこかの医者さんが書いていました。母もそうなのやもしれません。

 

ただ、義理父は自然に亡くなっていました。誰も亡くなったことに気づかず、朝になって義理妹が訪れてみると、倒れておったようですよ。(その日は猫目石一家は、お見舞いに行くと約束していた日でして、出かけようとした矢先に亡くなったと一報が入りました。死に目には、誰一人として会えませんでしたね〜)

 

義理父はお迎えが来たなんてことは、一言も言っておりませんでした。ただ、亡くなる一ヶ月ほど前に、「もう生きられない」とつぶやいていたことより、死を受け入れていたのでしょうな。

 

義理母については、ほんの少し耳が遠くなってきたようにも思いました。以前は地獄耳でしたのにね〜 人間は耳から衰えるときいたことがあります。まぁ、92歳ですから仕方がないとは思います。

 

話の理解力はあります。仏教の話は興味深そうに聞いておりました。施設でも仏教の話をしてもらえば、いいのにと言っておりました。われわれの話に相槌を打ったりもしておりますし、突拍子もないことは言いませんので、よしとしましょう。

 

いつ亡くなるかわからない大年寄ですので、制限を設けず、好きなものを食べていただきたいと思っております。こうやって世話ができるのも、猫目石一家が仰せつかったお役目だと思うようになりました。今しかできないことを優先すべきなのでしょう。多忙ですが、われわれがやるべき別のお役目もスムーズに進んでおります。これも例の瞑想と出会ったおかげだと思っております。

 

マインドフルネスの瞑想

一昨日からマインドフルネス瞑想をはじめてみました。マインドフルネスは大まかに分けて、2つのタイプがあるそうです。

1)テーラワーダ教(お釈迦さまの思想に近い仏教)が土台にあり、日本に根付いたもの。日本語では、気づきと訳されていることが多いようです。そして、この気づきのための瞑想は、ヴィパッサナーと呼ばれております。

j-theravada.net

 

ちなみに猫目石一家は、協会の長老であるスマナサーラ先生の文章がおもしろく、なるほどと納得させられました。宗教なんていうと、押し付けがましくうさんくさいイメージがありましたが、テーラワーダについては、今のところそんな印象は受けていません。ただ、奥に入り込むと矛盾を感じそうな予感はしてます。というのは、どの宗派でも「わたしこそが正しい。あっちは偽物だ。」などと叩き合いをしている場面が多いからです。テーラワーダも、そういう面があるとネットには書いてありました。

一般人としてちょっと眺めるだけなら良い感じはしています。

 

気づきについて。

音楽をやっている猫族、人族なら、よくわかるかもしれません。「第一関節を意識して弾いてみて」とか「指先を固くして」などなど。これはピアノのレッスンでのお話ですが、他の楽器や声楽でも同様でしょう。作曲ならば「この辺の音色が硬い」など。感覚を意識することを指しているのではないでしょうか?

 

考え込んで理解するのではなく、瞬時に理解すること。これが気づきなのではないかと勝手に解釈いたしました。

 

演奏も曲作りも瞑想に近いものがあるのではないかとも思っています。我を忘れますから。ちなみに禅宗はこの練習(作業)に重きをおきます。作業を続けることにより、最終的には自我を捨て、本当の自分を発見することができるというもの。

 

宗教には、肉体&魂の二つで成り立っているという思想があります。肉体は滅びても魂は永遠といいますよね?この魂とやらに、アクセスするための手段としてマインドフルネスがあるようです。スピ系では、ハイヤーセルフとか書いてる人が多いです。

 

われわれマインドフルネスを知るまで、ハイヤーセルフなどという胡散臭い言い回しが嫌いで、ツバ吐いてましたよ。今でも嫌いですけど・・・日本語なら潜在意識の中にある本当の自分ということです。

 

本当の自分に、マインドフルネス瞑想を通して触れることができたならば、自分の歩むべき道が見えてくるのやもしれませんね。

 

 2)アメリカ流のマインドフルネス。これは1)を土台にして、宗教色を抜き、企業研修や精神医療に使われるもの。アップルは、iphoneのヘルスケアの中に、マインドフルネスの項目を設けていますね。

 

こちらもやることは同じですけれど、土台を理解していないために、つまづきもあるやもしれませんが・・・しかし、ネットでみていると教育現場などで利用されていて、大きな効果を出しているのをみれば、土台なんか知らなくても良いとも感じます。

 

で・・・猫目石一家の初体験であるマインドフルネス瞑想。こちらは下記の山下先生の本を参考にして行いました。お釈迦さまは鷹揚で、どれが良いとかだめとか決めつけない方だったようです。先生によっていろんな形があるのだそうです。結果的に自分がよければいいのだと、われわれは判断いたしました。

 

 

この瞑想は、猫目石一家にとって過去にどこかで似たようなことをやったのではないか?という感覚がつきまといました。 それは活元運動です。かつてわれわれは、人の勧めで、野口晴哉先生の活元会に何度か伺ったことがありました。下記の本、風邪の効用もいただきまして、訪れないわけにはいかなくなり、仕方なく行きましたが・・・

 

結果的にはスタイルよくなり、気持ちが楽になったことを覚えています。勧めた方の話によれば、猫目石一家は頭を使わないから、こーいう原始的なことに向いていると思う」ということでした。

 

今回、マインドフルネス瞑想を体験した結果は以下のとおりです。

  • むちゃくちゃ体調が良い。
  • 食欲が出てきた。
  • 目が楽。(ばぁさんは右目が悪く、軽い白内障がある。)
  • 集中力がついたせいか、さっさと動ける。
  • 猫目石一家の歩むべき道(仕事)が明確に示された。
  • もうひとりの(もう一匹の)わたしに出会った。→潜在意識の中にいる自分でしょうな・・・

 

野口先生の活元運動は、脳の海馬を休める働きがあるようです。自律神経の乱れにもすごく良い結果をもたらすと思いますよ。おそらくマインドフルネス瞑想も同じ働きがあるのでしょう。

 

もうひとりの(もう一匹の)わたしは、潜在意識の中におり、脳の中で半分眠りこけていたのやもしれません。宗教的にはもう一人のわたし=と呼ぶそうです。よく、自分の中に神がいるといいますよね?

 

このもうひとりの(もう一匹の)わたしに出会ったことにより、大きく前進したかな・・と思います。何をやるべきか、よくわかりました。人によっては今の道から変わることもあるでしょうね。この場合、本当の自分とはかけ離れた生活をされていた方だと思います。

 

なんだか長くなってしまいましたので、一旦筆を置きます。今後もマインドフルネスだけではなく、禅についても体験して書いていきたいと思っております。よろしくお願いいたします。

 

 

 

マインドフルネスと禅

最近、マインドフルネスという言葉があちこちで飛び交っています。スピ系のセミナーやスピ系のblogなどでもよくみる言葉です。スピ系と心理学を組み合わせ、しかも「あるがまま」などと、亡き義理父が三聖病院(森田療法の病院で現在閉院)でもらってきた掛け軸と同じ言葉を記しておられるのをみると、疑問を感じます。

 

猫目石一家は、だいぶ前にNHKのサイトでマインドフルネスの実践動画をみて、多少やってみたことがございます。付け焼き刃でしたが、やってみてすぐに体調が良くなっていくのを感じました。われわれ、理屈で物事を考えるのは不得意ですが、言語化が難しいものを理解することは一般猫、一般人よりは得意だと感じております。これは音楽を続けてきたことの利点かもしれません。

 

ただ、その後は忙しさに紛れて、忘れてしまっておりました。おそらく、忘れたということは、それほど興味をもてなかったのでしょう。

 

それはともかくとして・・・

 このマインドフルネスに再度興味をもちはじめたのは、twitterでの出来事があります。ハイライトってありますね?7月ごろまではある演奏家の方のつぶやきが、くまモンのつぶやきなどと共に猫目石のアドレスに送られてきていたんです。(ちなみにわれわれはくまモンファンではありますが、この演奏家については全く存じあげておりませんでした。)

 

この方はブラス専門で、われわれにとっては遠い存在であり、twitterをやらなければおそらく知る由もなかったでしょう。ところが・・・最近その方のハイライトがなくなり、くまモンの書き込みだけが流れてくるようになっていました。

 

あの人どうしたんだろうね? 

きっと何かあって、twitterから足を洗ったんじゃないの?

 

数日前、われわれはある出版社のサイトに偶然たどりつきました。何の気なしにサイトをみていると、見覚えのある顔写真とともに、訃報のお知らせが載っておりました。

 

「あ・・・この人だ。最近書き込みがなくなったと思ったら、8月1日に亡くなってたんだね。まだ50代だってさ。」

「命って突然消えるんだね。」

「わたしもいつ消えるかわからないよ。」

「本当に猫目石一家にとって大事なことだけをやろうよ。」

このように話していたところ、猫目石のばぁさんの脳裏に突然「マインドフルネス」という単語が浮かび上がったのだそうです。

 

おそらく思いつきだったのでしょうけれど、まず意味がわからないことには先に進みません。検索をかけてみましたところ・・・

「今を大切に生きる」と説明されているサイトをみつけました。

 

これって、義理父が生前中にお世話になった、三聖病院の治療方法にそっくりじゃない。森田療法ってゆーのは土台に禅の考え方があるからねぇ。てゆーことは、禅宗とマインドフルネスは同じなのかなぁ?

 

ばぁさんはブツブツ言いながら、「禅とマインドフルネスの違い」という文字で検索をかけました。で、引っかかってきた文章に「マインドフルネスと禅は違う」とありましたので、クリックしましたところ、ネルケ無方とあります。その後トップページにとんでみてやっと、安泰寺というお寺のHPであることがわかりました。

 

ネルケ無方とはドイツ人の住職さんの名前であることも、トップページをみたりしてわかりました。しかも安泰寺というのは、由緒ある曹洞宗のお寺であることも初めて知りました。お寺は山奥にあって、最寄りのバス停から歩いて50分。檀家をもたず、自給自足で生活しておられることも知りました。

 

われわれ時間の経つのも忘れて、安泰寺のサイトをあちこち見回り、youtubeネルケ無方さんの講話を聞いてみて、非常に共感を覚えました。これは猫目石一家のルーツにあると思います。先祖さんに、曹洞宗のお寺をやっておられた方がいること、うちが曹洞宗であること、亡くなった義理父が救われたのも禅宗のお寺の門(東福寺)をくぐったからという思いがありますので・・・そんなこんなで、猫目石の血には禅の考え方が染み付いているのでしょう。

 

ちなみにばぁさんは宗教が大嫌いなんです。でも禅の考え方だけは受け入れられるのだそうですよ。それはともかくとして、ネットだけでは知識が断片的ですので、1冊本を読んでみようということになりました。

 

 上の本を購入いたしましたところ、著者の山下先生も安泰寺で修行された方とのこと。しかもマインドフルネスと禅宗、どちらも修行されているというお話がありました。まだ読了はしておりませんが、半分ほど読み進めたところ、マインドフルネスというのは、無意識の領域(潜在意識)を指しているのではないかと感じました。

 

奥が深いといいましょうか、マインドフルネスと禅とを結びつけたならば、何をやっていいかわからない方、道が見えない方などにも良き結果が得られるのではないか?人に指図されるのではなく、自分の力で歩むべき道を発見できるのではないかと感じましたね。

 

われわれは、マインドフルネスの意味は知りませんでしたが、義理父が亡くなってからというもの、亡き義理父のささやきを耳にし、このささやきが現実となる体験をしております。ささやきは亡き義理父のものであるのか、われわれの無意識の領域から発しているものかはわかりませんけれど、以前にはなかった現象でしたので、不思議に思っております。

 

何らかの出来事が引き金になって、無意識の領域を少しだけでも活用できる体質に変化したのやもしれませんね。長くなりますので、後日改めて続けます。

 

西洋と東洋の溝〜プッチーニ 滝廉太郎〜

少し前に、有名なオペラ歌手が亡くなられたということで、友人とのお話に花が咲きました。私も友人もこの方についてはよく知らないんです。もちろん、きちんと演奏を聴いたことはありませんので、語る資格はありません。

 

友人とはこのオペラ歌手のお話から別の方向に話が発展いたしました。

オペラは日本人のわれわれが理解できない部分があって当然だと思います。疲れているときに、甲高い声で歌われるのってわれわれには、向いていないという話にもなりました。

 

日本は歌の国じゃなくて、言葉の国だと思います。イタリアは歌の国ですよね?感情表現だって違う。そんな国の文化をそのまま理解しろと言われる方が無理。

 

先日、日経のサイトをみておりましたら、高校生のためのオペラ教室で蝶々夫人を公演したという話題が載っておりました。女子高校生がほとんどで、公演前、休憩時間に、ものすごく私語が多く、やかましかったのだそうです。

これを読んで、猫目石一家では「当然だよね〜 女子高校生の反応は悪くないよ。蝶々夫人の筋書きは今どきの高校生にはわからないと思うしね〜 われわれも蝶々夫人だけはどうも理解できない音楽だって思うよね〜」という話でもりあがりました。友人ともこの話題でもちきりになりましたね。

 

われわれだけかもしれませんが・・・初めてのオペラ鑑賞だったら、もっとわかりやすいオペラのほうがいいのではないかと。「ボエーム」の方が良かったのではないでしょうか?他の作曲家だとビゼーの「カルメンなど。音楽として完成度が高いだけではなく、92歳義理母のような音楽の「お」の字も知らない素人でも、覚えられるメロディに溢れています。

 

以前フランスの指揮者シャスラン氏のカルメンを義理母にみせました。


CARMEN Paris-Bastille Opera, conductor: Frédéric Chaslin. Béatrice Uria-Monzon, Sergei Larin

義理母はメロディを空で歌えていたんです。ぼけた頭でも次のメロディの展開を覚えているということは、音楽のエネルギーによって、脳が活性化しているのではないか?・・・余談ですが、こういうの本物の音楽療法かもしれません。

 

義理母はカルメンを日本の曲だと思っていたようです。笑わせてくれます。

ちなみに、シャスラン氏の演奏が義理母にはしっくりくるようです。それは私も同じです。メロディに絡む対旋律なんかも、このテンポだからこそ生きてくるというもの。対旋律が聞こえなければ面白くはないんです。>猫目石一家

作曲家でもあるシャスラン氏の秀逸な演奏、歌だけを突出させるのではなく、音楽全体をバランスよくまとめておられると感じました。われわれ、こういう演奏が趣味です。


プッチーニ 《蝶々夫人》 「ある晴れた日に」 マリア・カラス(1)

 

「ある晴れた日に」というアリア、猫目石一家にとっては、最近までよくわからない歌の一つでした。今でも、すごくよくわかっているわけではないけれど、上のマリア・カラスさんのように、音楽と言葉との一体感を押し出したような、聞きようによっては冷徹な演奏であれば、良いなと思えるようにはなりました。

 

ちなみに佐藤しのぶさんのもきいてみました。全般的に表現がおとなしい。素人猫にはわかりづらいものがあり、最後まで聴くのが辛い。プロ相手だったらよいかもしれません。

 

でもでも・・・このオペラを好むか?と言われれば????ですね。日本の音楽を使ってはいるけど、使い方が好きではありません。

 

ボエームも筋書きは単純だし、古めかしい世界ですが、音楽が素晴らしい。プッチーニの作品中、われわれはボエームは最も好きです。実はばぁさん、最初にオペラ鑑賞をしたのが、カルロス=クライバー指揮+スカラ座の引越し公演なんです。こんなに良い曲あるの??って思ったそうです。歌詞も良いし、セットも衣装も古くて良かったんだそうですよ。

↓をみたんです。今になって思えば、運がよかった。なかなか見られるものではなかったですから。


カルロス・クライバーの「ラ・ボエーム」第1,2幕 1981年9月15日 東京文化会館

 

 

最初に聴いた音楽が好きになれば、他の曲も聴きたくなりますわね。この最初が大切だとわれわれは思っております。 

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話は変わって、日本の歌曲。われわれ滝廉太郎氏の曲に凝っております。昔から、金平は「花」が好きで、鼻歌を歌いながら、しっぽで床を叩いております。最近はばぁさんの弾くピアノに合わせて、歌っておりますよ。他にもたくさんの名曲があるようですね。初めて聴きました「憾」という曲も、猫目石家にとっては感動的で、金平はうるうるしっぱなしでございます。


憾(うらみ)

 

オペラもいいけど、やっぱり日本猫にとっては日本のメロディがしっくりきます。なんかね、を歌っていると理屈抜きで気持ちが明るくなるよ。と金平が申しております。ばぁさんは金平のために、日本のメロディをピアノで弾いて、「歌のない童謡」「歌のない民謡」などやることにしようと考え中。→昔 文化放送の深夜ラジオで「歌のない歌謡曲ってあったの知ってますか?あれのピアノ版です。

 

口だけじゃないですよ!ここではやりませんけど、別のサイトでやるようでございます。いつやるかは、秘密です。こそりと秘密裏にすすめております。