昨年12月初旬に猫目石一家の義理母(金平の義理母=ばぁさんの母親)が死去した時から、7週間経ってしまいました。偶然ながら、義理父の月命日22日と同じなので、本日はわれわれ大忙しでした。
線香に火を灯し、お供えを吟味したり、般若心経をあげるために、姿勢を整えたりしました。また部屋がかたづいてなければ、故人に対して失礼に当たるとばぁさんに言われ、そそくさと布団をセッティングしておった金平。忙しながらもうまくできたようです。
般若心経は一人と一匹で、心が空白になるのを感じながらあげましたね。なぜか般若心経をあげると、心が空っぽになります。こーいうのを、マインドフルネスというのだな、と感じます。いちいち瞑想の時間を取らずとも、日々の暮らしの中で空になることがわかれば、それを続けるのも良いですね。それは人族猫族それぞれなのですわ。
亡き義理母には、われわれ大変なご恩を感じておりまする。われわれが困っておれば、自分の方から連絡をよこし、「困ってないのか?」と聞いてくれたこともありました。霊感があると言いましょうか、顔を見なくても状況がわかるようでした。
最後は右目を失明し、左目もあまり見えなくなりましたのに、金平とばぁさんの顔は見えると言ってくれました。心の目で見ていたのでしょうか?
大変病弱で、まさか94歳まで生きながらえるとは、思ってもいませんでした。胃がんの手術を66歳だったかにしておりました。しかし、初期中の初期であったため、その後再発もなく、がんというものからは一切解放されたようでした。
胃腸関係も弱かったです。10代終わりに腹膜炎をやっているせいもあったでしょう。亡き母の母が、医師に見せるのが手遅れになったからでしょう。医師にはこっぴどく怒られたようです。この腹膜炎のせいで、卵管が腸に癒着し、不妊症となったのですが、不妊症の治療は一ミリもしていないのに、なぜか??ばぁさんが結婚8年目にしぶとく生まれてきたんですね。
ばぁさんのしぶとさは、生まれる前から決まっておったのでしょうな。ばぁさんがいなければ、出会えませんでしたから、金平はその点は感謝しておりまする。
他にも、戦争中に京都の女学校に通っていた19歳の折、汽車の中でアメリカ軍の機銃掃射を受け、返り玉が足を貫いたのに、切断することなく治った。当時は薬もなかったのですが、免疫力でカバーしたのでしょうな。
年を食ってからも、病気が多かったです。その度に生き返ってきたのは、強運の持ち主でもあったと思います。
寿命と病とは別ものでありますね。身体の強い人族猫族が、長生きとは限りません。ただ、死ぬ時は自分で決めておるようでございます。
われわれお通夜の日に、オーフィアス組曲の中の一曲「addictus〜手放す」を亡くなった義理母に聴かせました。チベット仏教では、亡くなったとしても耳は聞こえると言いますね。この楽曲は、幾度となく存命中の母にも聴いてもらっておりました。
ある方から、「不眠症だったのに眠れるようになった」と嬉しいご感想をいただきました。この楽曲、youtubeにアップしてありますが、チャンネルの目的は「音楽が薬がわりとして利用されれば良い」というものでもあります。その目的が少しでも達せられたことは嬉しいね、と金平がぎゃうぎゃうと喜びの鳴き声でアピールしておりまする。
2022年は編曲ものはクラシックの楽曲を中心に据えようと考えておりまする。他人他猫に擦り寄る姿勢ではなく、猫目石一家の世界を表出するチャンネルにしようと決めました。
オリジナル曲も然り。義理母は、意識の世界に行ってしまいましたので、そちらにも通じ、こちら(現実世界)にも通ずる創作ができれば良いなと、希望的観測を描いておりまする。