天空の縁側

天空の縁側

作曲家の目を通して、アートや日々の出来事などをあるがままに綴っていきます。

あるがまま(無の境地)

ビジネスにおいても、アーティスト活動においても成功するには、世界観を明確にすることだと教わりまして、自作品の世界観を見直しておりました。その結果、生きることに意味づけをしない=あるがままに生きる という世界観に行き着きました。

あるがままとは葛藤やどうにもならない不安などを、結論づけないことなのです。先のことはわかりません。わからないのに、わかろうとして無理に決めることから、悩みが増えてくる。

心は形がなくつかみどころもありません。今はこうでも、3分後には別の考えに変化しています。このわからない心を型にはめようとして、ああでもないこうでもないと、考えあぐねてあらぬ方向に進んでしまう・・・

 

私もあらぬ方向に進みっぱなしの人生であると言えるでしょう。器用に人の間を渡り歩くことなどは100%無理な人間です。

私集団行動が大の苦手でございます。パーティ、式全般、学校行事などなど、人の集まるところに顔を出して、にこにこすることができません。学校は嫌いですから、出席日数が足らないほど休んでしまいます。当然学校からは目をつけられまして、高校入試の折、内申書で落とされたりなど・・・両親にもずいぶん迷惑をかけたかなと思います。(高校の時も同じくでしたが、大学には内申書は関係ございませんので、セーフでございました。)

 

一人が好きな人間が、集団の一員になることを考えただけで怖気付き、勝手にうまくいかないと思い込んでしまいます。何も考えなければ、何も起きませんのに、心が勝手に動いてしまい、常に悪い方向に考えてしまう心の癖がございます。今だにこの癖は治っておりませんが、最近はおひとりさま大歓迎といった風潮がどこからか生まれまして、私もほっと胸をなでおろすことができています。

 

常に悪い方向に考える癖が高じていきますと、神経症とか心身症に陥るのです。根が神経質にひっかかりやすく、何か一つのことにこだわり始めれば、そこから抜けられなくなり、考え込む。一種の体質だと思います。亡き父が神経質に引っかかりまして、いっとき重度の神経症に陥り、再起不能と言われながらも、京都の三聖病院(かつては禅宗東福寺の経営 2014年末で閉院)に半年の入院で完治いたしました。

 

退院時、院長から「あるがまま」という色紙をもらってきたことなどを、見ておりました私は、禅の思想に自然と接していたのだと思います。そのせいか?初の自作品にもあるがままの世界観が流れていたことに、我ながら驚きを覚えました。あるがままとは良きことも悪きことも受け入れ、川の流れのように生きるという感覚です。究極は「無の境地」に到達することなのでしょうね。

 

スティーブ・ジョブズイチロー選手、ジョンケージなども禅を勉強されたと伺っております。彼らのような大きな人をみていまして、心を180度転換して、真っ白になったところから新たな自分が誕生するのではないか?と考えるようになりました。

 

心が自由になれば、何もかも楽になれるし、無理をしなくなる。心は空になり、目の前にある現実をしっかりと見られるようになり、手をつけることができてしまう。無駄から解放もされる。

 目の前の小さなことを一つづつ片付けることにより、無意識のうちに結果が出せて、願いが叶うのかもしれません。私はまだまだ初心者ですが、少しづつ勉強しながら、みなさまに真理を伝えられるようになれれば幸いです。

 私が現在、心に問いかけながら読んでいる本を紹介します。心に響き、少し読んだだけでも楽にられる本です。2冊とも中古本で手に入ります。

 

 

あるがままの世界―仏教と森田療法

あるがままの世界―仏教と森田療法

 

 

 

「あるがまま」を受け入れる技術 (PHP文庫 か 1-2)

「あるがまま」を受け入れる技術 (PHP文庫 か 1-2)