天空の縁側

天空の縁側

作曲家の目を通して、アートや日々の出来事などをあるがままに綴っていきます。

目に見えないもの

私には、理屈では説明がつかない不思議体験があります。目に見えたものしか信用しない人にとっては、「この猫 大丈夫?」と思われるでしょうね。

不思議な体験は、小学生のとき1度、8年ほど前に1度、父が亡くなってからは、気のせいかもしれませんが、割に頻繁に起きていますね。

なぜ、今になってこんなことを記してみたくなったのか?

それは6年ほど前に、ある主婦の方(祖父母が霊能者でこの方は審神者)にみてもらったときの文章が出てきたからです。私の周囲にも能力者はいます。しかし、決して目立つようなことはなさいません。>音楽事務所経営や、会社の社長などをなさっていたりなど・・・ 本物は自分の能力を商売にすることはないんです。よほど相手が困っているときだけ、ボランティアとしてやるということでしょう。

 

ja.wikipedia.org

 

その方の文章を再度読んでみました。作品を作るにあたり起きたことが、そっくりそのまま綴られておりました。→何かヒントを言ったわけではないのに、大体そのとおりでした。

人間には守護霊がついているとのこと。私の場合は、だいぶ変わっているようです。何度か猫目石さんは日本の方ですよね?と尋ねられました。

もちろん、猫目石は日本在住でございますよ。

「普通の方は、日本のご先祖さんが守っているのに、猫目石さんはヨーロッパの青年(神系)が守ってくださっておりますよ。でも、その青年の名前が、私にはよくわからないんです。補助霊さんはご先祖さんなので、通訳をしてもらっています。名前は聞こえた通り書きますね。この青年、顔はシュッとした感じではなく、脂ぎってますわ。しかも、哲学的なことをお話なさっていて、全然わかりません。」といった、メールがきました。

ちなみに、普通は9割が先祖霊、1割が神系とのこと。

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この青年の名、英語読みでした。英語サイトで調べたところ、まさにそのとおりでしたね。神話は実際にあったことをモデルにしているのかもしれません。

竪琴で有名なオルフェウスも6世紀に実在した、詩人であり、音楽家だったと言われています。そういえば、日本の菅原道真も、元は人間だったのに、今は神として祀られていますね。このようなこと、昔からあったのでしょうね・・・

それはともかくとして、猫目石は、伝統を継承する役目を仰せつかっておるようでございます。ですから、流行りの仕事や金儲けを追求する仕事をしても、全くうまくいかないようです。言い換えれば、合わない仕事をしても、骨折り損のくたびれ儲けかなぁ??と昨日も思ったのです。

今やっていることが、最も猫目石と飼い主には向いているのかもしれませんわ。でも普通なら、日本人だから、日本の文化の継承になると思うんです。それがどこでどう間違ったのか、ヨーロッパの伝統を継承する役目になっているんですよ。

で・・・・小さな出会いではなく、自然という大きな視点から物事をみて、お役目を果たせ。自然が完璧に理解できたら次は宇宙になり、こちらの世界にくる。

つまり今やっていることが完成したならば、死を迎えるということでしょうか?やり終えてないのに、死ぬことはないみたいです。>猫目石と飼い主 裏側から考えてみれば、死ぬまで働くことにつながりますね。われわれ、それを理想としておりましたのでね、喜ばしい。

また前置きが長くなりましたが、やっと本題の不思議体験。

小学生のとき、学校でみんなで階段を降りていたんです。私、階段上部にいまして、そのときうっかりつまづいて、落ちそうになったんですね。もう絶対無理だと思ったときに、一瞬気を失ったような状態になったのですが、ふわぁ〜〜っと、身体が後ろから引き上げられました。一体何が起きたのかわかりませんでしたが、気づいたらみんなの話し声が聞こえて、私は普通に階段を降りていたんです。

一瞬の出来事で、時間が逆戻りしたような感覚でした。帰宅して、母に言ってもわかりません。後ろを歩いていた友達にきいても、「別に普通だった」とのこと。

そのまま40年ほど、封印していましたが、ネットで同じ体験をした人がいないか、調べてみることにしました。同じ体験をした方、結構いらっしゃいました。お子さんがお腹にいて、玄関で転びそうになった時後ろから引かれたとか、屋上から落ちそうになった時に、後ろから何者かに引っ張られたなどなど・・・絶体絶命のときに、助けられている方の多いこと。ある作家の方は、亡くなったお父さんの声がして、交通事故を避けることができたと書かれておりました。

私、あれは単なる気のせいではなかったのだと確信しました。このようなことは、実体験してわかることです。わからない方は、目に見えたものだけを見て、生活してください。きっと生きる道が違うのでしょう。最近は私もこのように考えるようになりました。

続きはまた次回。