昨日も施設の母に面会してきました。最近は野菜やお菓子の名前をよく忘れています。小松菜を忘れ、きんつばも忘れていました。そのくせ、食べると思い出すようです。桜きんつばを食べながら「きんつばはこれか・・・」と言っておりました。小松菜は忘れてしまったようです。昔、家庭菜園で作っていたことも忘れてしまったようです。
甘いものをお茶も飲まずに一気に食べたせいで苦しくなり、「おやつも夜ご飯も食べたくない」とも言っておりました。本当は食べさせない方が良いのですが、母のほうから「あれ食べる、これ食べる」というので出さないわけにはいかないのです。
次回は「長芋のぬか漬けが食べたい」とのこと。私が「長芋には、海苔とかわさびがあうよ」といったら、それも忘れてしまったらしく、「わさびは天ぷらにするの?」と突拍子もないことをいいます。あまりにもおかしいことを言うので、私は帰宅しても思い出し笑いしてしまいました。
わさびの天ぷらなんて、聞いたことありません。
ただし、味噌作りなどは覚えていて、懇切丁寧に教えてくれます。昔の記憶は残っているものと、なくなってしまったものがあるんですね!
くまモンも覚えていました。私が「くまモンはミッキーマウスやドラえもんより人気があるんだよ。」と言ったら理解できているところをみると、覚えているんですね。
また、元号が変わったことも知っていて、「令」という漢字に興味をもっていました。母は「冷蔵庫の『冷』のにすいをとったのでもよいらしい」と言っていましたので、漢字は理解できるようです。
ラジオをつけているのは、世の中のことを知りたいからだそうです。このことから、認知症末期にはなっていないと思います。施設で認知症のおじさんが大きな声を出すことを非常にいやがっておりまして・・・「ああいう人と一緒にいなければいけないのは本当にいやだわ。」と言っています。
しきりにヘルパーさんたちに、「ありがとう ありがとう」とお礼を言っています。気遣っているようにも思えました。
そして・・・驚くべきことですが、音楽は理解できるし、覚えているのです。先日の演奏家(下記リンク先)の方々をテレビでみたことを覚えているんです!
プレスラーさんの演奏(下記リンク先) を聴かせたところ、「古い音がする」と呟いておりました。ちなみに母とプレスラーさんは同年代です。プレスラーさんの年を話したわけではないのに、演奏を聴いただけで古い音と判断するのは、感覚が研ぎ澄まされているせいでしょうか?
音楽は目に見えませんが、大きな力をもっているのかもしれません。音楽療法などという学問がありますが、学問の枠を取り払っても良いのではないでしょうか?私は聴かせているだけで、大きな成果があるように思っています。
気に入った曲、好きな曲調の音楽を聴くだけで、身体が楽になることは私も経験があるのでわかります。それは理屈ではありません。この理屈というものが邪魔をすると、逆効果かもしれないと思います。