天空の縁側

天空の縁側

作曲家の目を通して、アートや日々の出来事などをあるがままに綴っていきます。

驀直進前し回顧あるなかれ

もうすぐ令和元年となります。約30年間の平成、私にとっては大きな変化に富んだ時でした。30年前といえば、33歳のとき。私はまだ商業的作品の仕事に入りたての頃でした。その頃の音楽の世界、テレビの世界は力に満ちていたと思います。

テレビの仕事をするのに、画面に小さな小さな名前を出すだけでも、ものすごいことなんだ!と言われた時代でした。今は多少は敷居が低くなっていると思いますがいかがなものでしょうか?就職もITが主流でマスコミ業界に行きたいと思う若者は減ったときいています。

その仕事を10年ほど続けて、別の世界に偶然お招きいただきました。それは最も苦手とする管理社会(義務教育)の仕事でした。曲を書くこと自体、どの世界でも変わりはありませんが、相手が音楽を知らなければ苦痛になります。よく知っている人とやるのと、少し知っている人とやるのとではストレスの度合いが違います。また、知ったかぶりをする人に振り回されたことにより、ストレス性の腸炎がひどくなり、とある漢方の先生にお世話になり、それが元で他の持病まで治ってしまったという、良き面もありました。

加えて、一般社会と大きくずれがある方、発言権のない方などとのおつきあいに疲れました。仕事は仕事で終わるなら良いのですが、自宅に21時頃、週に何度も電話をかけてこられて、長々と世間話をされたりしまして、そろそろ離れなければと思ったのが2008年。

この仕事の最初の頃は、1.2年で終わるだろうとタカをくくっていました。しかし、予想とは違い13年ほど続けてしまいました。何度もお断りしようとしましたが、「もう少し もう少し」と言われ続け、優柔不断に続けてしまった自分にも責任があると思います。

あの頃は、何かに追い詰められていたような気がします。自分の思いとは違う方向の曲、思ってもいない曲調を無理に書かなければいけないことのストレスで、母が「顔をみていると相当体力を使っているみたい。もうやめたほうがいいね。」と言ったこともありましたね。

そして2009年、「海外に行きますのでおやすみします」とお断りの電話を入れました。海外へ行くというのは半分本当で半分いい加減なものでした。その当時、ゲームの仕事をしており、もしかしたら会社ごとアメリカに移すかもしれないという話を、社長から聞きましたので・・・言い訳の一つとして伝えました。

相手方は「いつまで休むんですか?」と言ってきましたね。この答えからも、相手方は相当一般常識がないと思われるでしょう。2010年には最後の仕事をして、きっぱりと線を引きました。

この仕事から足を洗った根底には、自分独自の世界でやっていきたいという思いがありました。人に頼まれて書くことも少しならばいいですが、それだけでやることは、自分には向いてないと悟りました。人それぞれです。

 その後は紆余曲折が続きました。音楽の世界からは2013年〜2017年末まで足を洗ったような状況が続きました。しかし2017年末、小さな仕事の依頼があり、復帰することに決めたのでした。それは2017年3月の父の死により、導かれたことだと思います。

 

亡き父が30年以上も前、お世話になった京都の三聖病院(今は閉院)宇佐先生の本↓に、驀直進前(まくじきしんぜん)し回顧あるなかれ とありました。

あるがままの世界―仏教と森田療法

あるがままの世界―仏教と森田療法

 

 これは、鎌倉時代元寇の大群が押し寄せて、国難に陥ったとき、北条時宗が禅の僧、無学祖元(むがくそげん)に教えを求めたときの言葉です。

「まっすぐに進め。自分というものを振り返るな。」という意味です。

最近は特に、人間関係や仕事を振り返ることがなくなりました。全て新しい方向へと進んでいる最中であるからです。副業についても父の後ろ姿をみていた私は、同じジャンルを選ぶことに決めました。これは、音楽とは正反対の位置にあるものですが、土台は同じです。

作曲は思いつきではなく、経営に近いものです。この力が近い将来、生きてくるやもしれません。

 

時々思うことですが・・・決断するときは考えてはいけません。時を狙って、前に進むことが大切なのです。この行動により、自分にとっての最も良い道を得られると思っています。