天空の縁側

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作曲家の目を通して、アートや日々の出来事などをあるがままに綴っていきます。

峰村澄子作品展Ⅸ

7月21日、東京文化会館小ホールで催されました、作曲家峰村澄子先生の作品展を拝聴してきました。↓ ↓

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峰村先生とは、国際ピアノデュオ協会を通してのご縁です。今年から猫目石家はデュオ協会会員になったことにより、先生の作品に興味をもちました。

曲はいわゆる現代音楽の位置付けですが、前衛音楽ではありませんので、人によっては聴きやすいかもしれません。

雅楽の手法が全面に押し出されていました。トレモロ(バッテリー=2音を交互に奏するトレモロ)、グリッサンドアルペジオ多く、誰しもが耳についたことでしょう。フィンランドの作曲家サーリアホ女史もゆっくりとしたトレモロを多用なさる方ですが、使い方が全く違いました。峰村先生の曲において、トレモロ雅楽の揺りという表現法に当たるもの。一種のビブラートと言えましょう。

猫目石一家では、偶然にも日本的な素材で曲を書こうと意気込んでいた時でしたので、さまざまな面で、勉強になりました。当日、あまり眠れずふらふらしていたこと、蒸し暑く、加えて上野は人が多すぎるほど多く、気が遠くなりそうでしたが、無理を押して演奏会に伺ってよかったです。このような体調の中、最後2曲は集中力が削がれて、よく聴けませんでした。しかし、他の曲に、得るものが大きかったので良しとしましょう。

 

全体を通して、時間の流れが違っているように感じました。時の迷路にまぎれこんでしまったような感覚です。古の時代の時間感覚は、現代の時の感覚とは違っていたようにも思いました。われわれが今までに居たことのない空間に放り込まれて、一瞬とまどいましたが、聴いているうちに心地よく受け入れることができてきました。

 

他には・・日本語の言い回しが、音楽として表現されていたように思います。日本語は結論を後回しにしたり、断定を避けようとしたり、白黒はっきりつけないような言い回しをします。欧米の曲であれば、まずテーマがあって(結論を先に言う)展開に入っていきます。こういう音楽の作りに慣れてきたわれわれには、全く違うタイプの音楽だと感じられました。全曲がこのような作りではありませんが・・・

おそらく、時間を経て、このような手法に到達されたのだと思われます。

 

猫目石一家が気に入った曲は、作曲年代が新しい曲。2018年に初演された、月詠 2本のファゴットのための小組曲です。

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2本のファゴットのための小組曲河合楽器の梶村氏と元スタインウェイの後藤氏の演奏でした。バスーンが尺八のような響きを連想させつつ、西洋風の音階を奏でたりと、なかなか面白い曲でした。私は最終楽章が気に入りました。竹やぶを歩いているような雰囲気で、どこからか鳥の声(トレモロ)が聞こえてくる。そんな曲ではないかと勝手に思いました。われわれ、パンフレットをみてから、聴くことはほとんどありません。ですから、作曲家の意図するところは全く違うものであるかもしれませんね。欲を言えば、特殊奏法が入っていればわれわれの妄想はもっと膨らんだかもしれません。

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月詠歌 音の絵と表現すればよろしいでしょうか?音の絵の具による曲。そんな印象です。この絵画がわれわれに無言で語りかけてくるのです。特別に説明がなくても、多くの方が作曲家の描いた風景を感じることができたのではないでしょうか?演奏もよく、疲れているわれわれにも安らぎを与えてくれる音楽でした。堀江真理子さんと河内純さんのピアノデュオでしたが、お二人の息もぴったりでした。

 

他には、わらべ歌によるファンタジアという楽曲。

わらべ歌の自由な変奏でした。変奏というと、西洋風の楽曲を思い浮かべる方もいますが、独自のスタンスにたって展開されていました。日本人が西洋の語法を使って書いたという印象は受けませんでした。譜面を見てませんので、間違っているかもしれませんけれどね。

 

それから音楽とは別の件。峰村先生が今年で78歳にもなられることを初めて知りました。現役で創作活動を続けておられることは、喜ばしいです。猫目石のばぁさんなどまだ60代。この歳でめげてはいけませんな・・・曲を拝聴しまして、ご自身に厳しく、前向きであることを感じました。猫目石一家も大いに見習わなければならないと思いました。そのせいか、ばぁさんは演奏会以来、雑用をテキパキと片付け、早めに寝るようにしております。時間を作り出す必要があると思ったようですよ。限られた時間をいかに濃密に過ごすか、これが猫目石家の今一番の課題ですな・・・