天空の縁側

天空の縁側

作曲家の目を通して、アートや日々の出来事などをあるがままに綴っていきます。

11年前の出来事と庚子(かのえね)

猫目石ばぁさんは26日で一つ年を重ねた(年寄りになった)せいか、限られた年月を外界に惑わされることなく、時を慈しんで過ごしたいとの思いが強くなってきたようでございます。

一般的には50代中盤以降になりますれば、運命とも呼ばれる、時の流れに身を委ねることが多くなるのではないでしょうか?われわれも同様でございます。

11年ほど前の50代半ば前、仕事とはいえ、興味がなくて嫌いな世界に身を置き続けることは耐えられないと思っていた矢先、30年以上も大切にしていた動物のぬいぐるみ作家さんが亡くなり、ショックを受けました。この時はまだ、義理母 義理父は元気でした。義理母はすでに忘れてしまったと思いますが、「気の毒に・・・こんな可愛い猫ちゃんを作ってね〜」と作家さんの作ったぬいぐるみを見て、ため息をついておりました。

義理父は猫をみて「これは犬か?」と言っただけでした。

われわれこの方とは面識はなかったのですが、ばぁさんの第六感により、危機一髪。亡くなる前に連絡をとることができたのです。全く面識がない人であるのに、ばぁさんは「連絡をとらなければいけない」とひらめきました。われわれはネットの片隅まで調べ上げ、この方がどんな状態なのか知ることができました。

「54歳で乳がん末期。肝臓に転移しているらしい。モルヒネを打ちつつ生活している。」とのこと。ぬいぐるみなぞ作れる状態ではありません。食べ物も一切受け付けず、抗がん剤と水だけで生きていると知らされました。

それなのに、ご本人から猫目石家に、電話をいただいたのです。このときは亡くなる2ヶ月前の4月でしたね。ご本人はしっかりしておられまして、「私はもう長くは生きられません。ぬいぐるみを作らせてください。」と話されました。われわれ病状を伺っておりましたので、ぬいぐるみ作りで体調悪化すれば大変と、一旦は断ったんです。しかしご本人が「身体は大丈夫です。今は良いお薬がありますから。」と気丈におっしゃったので、制作依頼をしましたね。

後に伺ったところ、たまたまぬいぐるみ工場に、この方がデザインされた目の入っていないぬいぐるみが20体ほどあり、工場の社長さんがもってきてくれたのだそうです。これは周囲のみなさんが、この方の最も好きであったぬいぐるみ作りをしてもらえば、少しでも生きる気力を得て寿命を伸ばせるのではないか?と思ったからです。この20体ほどのぬいぐるみに、目を入れる作業を、水だけでやり遂げたのです。

二ヶ月後に亡くなってからご主人が「とても針を持てるような状態ではなかった。人間業とは思えない」とおっしゃっておりました。生きた証のようなものが欲しかったのかもしれません。亡くなる少し前には「私に針と糸を持たせてくれてありがとう。」とおっしゃっていたとか?このきっかけを作ったのは、猫目石一族でございます。良いことができたと、今でも胸を張って言えます。

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昨今のコロナウイルス 騒ぎ。ネット上でいろいろな噂やでっち上げを拝見しておりまして、みなさん心の奥底に死に対する恐怖が渦巻いているのだなぁと感じております。あまりに情報が多く、見るたびに変わっているようです。時間の無駄ですね。新聞も全て真実とは思いませんが、時々興味深い文章を読むことができます。最近では日経新聞の文章、英フィナンシャルタイムズのコラム翻訳、新型肺炎 王朝の危機」これは面白かったです。

他には、投資コンサルタントの塚沢先生のメルマガ。この新型肺炎が広がる前のものですけれど、先生の予測が現実化しています。干支の勉強というお話が2度に渡り配信されておりました。

今年は庚子の年。子とはネズミなので、何事も増えていく暗示がある。本来ならば景気の良い年であるのだけれど、庚がつくことが問題。庚とは更(さら)の意味であり、交代の暗示あり。株なら乱高下が激しくなるかもしれない。また、子とは了(おわり)と一(はじまり)を組み合わせた漢字なので、終わりであり始まりの年になるだろう。

中国を例にとれば、トップが何らかの形で変わるか?中共が崩れ去っていく始まりの年になるか? われわれはこのように思っては楽しんでおります。

猫目石一家は死ぬ時は自然に死ぬのだと思っております。ジタバタしても仕方がない。安倍さんたちが行なっておられるやり方に、文句を言いたくないです。われわれが安倍さんと同じ立場になったとして、同じことができるか?と問われればどうでしょうか?

人間の力には限界があり、全員を納得させられる結果など出せるはずはないと思います。国に全てを解決してもらうのは無理と、われわれは思っております。文句を言わず、自分で考え行動することが、あたりまえになる時は近いのやもしれませんね。