天空の縁側

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作曲家の目を通して、アートや日々の出来事などをあるがままに綴っていきます。

マインドフルネスを始めて8ヶ月後(note)

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近い将来ではありませんが、共感を持ってくださる人族猫族の前で、小規模な演奏もやることとになるでしょう。ピアノ専門の方のようなタイプの演奏会ではなく、気軽に聴け且つマインドフルな(楽になれる)催し、猫目石一家もスニーカーにTシャツのような、楽なスタイルでゆったりと行いたいと思っておりまする。

途中で眠ってもらっても良いのです。

 

そういえば、大昔シュトックハウゼン電子音楽の演奏会に行きましたところ、おおいびきで寝込んでおられた大猫様がおられました。しかも、スピーカーの前で。

 

バリバリバリバリっ

ばりっ

ガガガがっ

と一体いつになったらこの雑音が終わるのか、気を揉むくらい不快な演奏会でございましたが、大猫様にとっては雑音=子守唄だったのでしょう。

 

最近は、少数に限りピアノのレッスンも再開しておりまする。ただし、こちらもカクテルピアノ的な気楽なスタイルで、弾けるようになりたい方を目的としておりまする。譜面にガチガチにこだわらず、かといって譜面なしでアドリブばかりではなく、目的とする相手にわかるような演奏を目指しています。

現状では募集はかけておりませんが、一段落ついたとき(今多忙ですので)何らかの形でPRページをお作りします。少々お待ちくださいませ。下記記事、暇な時にみていただければ幸いです。

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猫目石一家バタバタしておりまして、7ヶ月後の結果は書けずじまいとなってしまいました。で・・・8ヶ月と少し経った今をつらつらと記してみたいと思いまする。

本来の姿に完璧に戻ったこと

われわれの本来の姿(進むべき道とかやらなければいけないこと、もう少し下世話な言い方をすれば使命ですね・・)に戻りました。猫目石一家の猫友にも指摘されたほどですので、他猫の目にも明らかなのでしょう。他猫の指摘は大きいです。一匹よがりで勝手に「本来の道に戻った」などとほざいておりましても、上っ面をなでているにすぎないやもしれませんから。

本来の姿に戻るとは?誰の目にも明らかなような現実が訪れていることです。われわれ、2010年から約10年、迷いに迷った経緯がございます。2018年頃から少しづつ軌道修正され、現在は猫目石家が長らく手がけておりました音楽の世界へと戻ることになったのでございます。

一旦遠ざかりますと、戻りにくいものですね。しかしながら、ほんの少しでも曲を依頼してくださる山猫さま、また別の山猫さんからは、全く新しい分野の音楽(偶然われわれが準備中であったジャンル)を依頼されておりまして、これは「どう考えても前に進み、続けていくべきだ」との確信がもてるところまできております。

まさかこのようになろうとは思いもしませんでしたね・・・

われわれマインドフル瞑想の最後に、無意識の領域の存在と対話しております。対話の内容は現実化されておりまして、人間は死んで終わりではないと思っておりまする。亡き義理父は、「死んだことは忘れてくれ」などと囁いておりまして・・・最初はわれわれの独り言か、気のせいかと思っておったのですが、現実化されると独り言でも信じざるを得ないですね。

猫友は「金平さんは何かをもって生まれて来られた猫さん。しかもすごい集中力の持ち主だからして、思い込みも強いと思う。」と褒めているのか、貶しているのかわからないようなことを言ってくれておりまする。いずれにしても、経緯はともかくとして、本来の姿(仏教的にはもう一つの猫目石)に戻れたことは、今後の猫生には大きな影響を与えてくれるでしょうな。

慈悲の瞑想が以前より深みを増したこと

慈悲の瞑想では

私が幸せでありますように。私が苦難から逃れられますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように。生きとし生けるものが苦難から逃れられますように。

などと唱えますね?われわれも最初のうちはただただ唱えているだけでございましたが、それだけでは瞑想が深まらないことを先生から教わりました。より深い状態にもっていくには、相手を許し浄化することが大切になってまいります。

たとえば猫目石一家を騙して、大切に育てたメダカを盗んで雲隠れした猫。この猫は鋼鉄のような心を持ち、他猫を受け入れることはございませんでしたね〜 今はどこにおるかわかりませんが、姿を思い描き、呼吸とともに煤にまみれた心を浄化することにより、われわれの気持ちが緩んでいくことを体験しております。

気持ちが緩みますと身体が暖かくなるんですよ。つまり心と身体はつながっているということなんですね・・・

本物の慈悲の瞑想を続けることによって、人間関係、猫関係が大きく改善されていくように感じております。たとえ危害を加えてきた猫であっても、心の奥底にアクセスして本心を見抜き、慈悲の気持ちで接することができるのですから。

われわれ、昔は物事を白と黒で分けて考えておりましたゆえ、生きづらく、この生きづらさが身体に響いてきておったのでございます。今でも完璧とは言えませんが、じょじょに他猫の欠点をも受け入れられる方向へと変容中でございます。

結跏趺坐ができるようになりました

猫の金平は柔軟な身体を生かし、いとも簡単に結跏趺坐をマスターいたしました。しかしばぁさんは「結跏趺坐というものは足が短いものには向いていないのかもしれないね。足でも痛めたら大変だからやめとく。」と仕方なく半跏趺坐でマインドフルネス瞑想を続けておりました。

ところが、7ヶ月目に入ったところ、突然、結跏趺坐に挑戦したくなったようでございます。一度目は数十秒しかできなかったのですが、今は15分は持つようになったと喜んでおりまする。

以下ばぁさん談

足の組み方にコツがありましてね・・・最初の足の乗せ方が浅いとだめなのでございます。できるだけ太ももの上部に引き寄せるようにして、乗せること。そして、もう片方の足を乗せるときに、腰を入れる(骨盤をまっすぐにして、その上に上半身を乗せるように)ことが大切。
結跏趺坐を始めてからというもの、身体の微細な感覚を観る瞑想でも、手足と身体全体が一筆書きのように繋がりやすくなったように思えます。また、以前より、心に落ち着きが出てきた?(重心を感じることができている)と感じます。身体がしっかりすると、心まで変わることを体験いたしました。

形を整えたり、形から入ることって大切なんですね!日本の良いところは、形を大切にすることだと思っておりまする。今中共猫党が非難されておりまするが、数千年前の中国の文化を捨ててしまったことに原因があるように思いますね。宗教も哲学もなく、打算と金勘定しかない民族はいつかは滅びるように思うのは、猫目石だけでございましょうか?

それはともかくといたしまして・・昨年10月下旬のマインドフルネスとの出会いは大きかったです。マインドフルの実践と同時に、気づきを得て、労働から思い切って足を洗った(もちろんお金も手放しました)ことが、本来の道へと導かれるきっかけとなりました。あのまま会社の口車に乗せられて、労働を続けておりましたならば、単なる時間の食いつぶしに終わっていたでしょうな。

無意識の領域に存在する者たちの通達でもありましたゆえ、今後も存在を信じて、感謝しつつ進んでまいります。