天空の縁側

天空の縁側

作曲家の目を通して、アートや日々の出来事などをあるがままに綴っていきます。

相互リンクは歓迎いたします!

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過去に

FBからリンクを張っている方がおられました。解析より、楽曲分析の記事にのみ、リンクを貼っていると判明。楽曲分析もさまざまですが、私の記事は独自の考え方で行っております。収益化を目指して、拡散しようと思って書いているわけではありません。こちらの意図とは違っておりましたので、リンク削除をお願いいたしました。現在私はFBの会員ではなく、今後も会員になるつもりはありません。この意味でもお引き取り願いました。

 

しかし、相互リンクについては歓迎です。よろしくお願い申し上げます。

 

 

過去の話になりますが、他人の本名を掲示板に書きこむなど(友人の連絡から発覚)迷惑な行為をされている方がおりました。該当者についてはだいたい見えてきております。ご自身は良かれと思ってやっていることでも、こちらにとっては鬱陶しいと感じることがありますので、よくお考えくださいませ。

お互いに気持ちの負担にならない範囲で、楽しみましょう。

 

ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」〜ピアノ曲 楽曲分析〜

mizuki-shiro.hatenablog.com

 

前回まではショパンピアノ曲を分析してきました。今回はラヴェルのピアノ小品「亡き王女のためのパヴァーヌをみていきます。

 

概略

この楽曲はシャブリエの「牧歌」に似すぎているとの指摘もありますが、私の耳には多少似ていると感じる程度でした。反復進行の和声、スタッカート、コーダの和声展開など、先人の用いた材料を、Ravel独自のものにしていると思います。


シャブリエ 絵画的小品集より「牧歌」&「村の踊り」 アニー・ダルコ(P)

 

youtubeでは、多くのピアニストがこの楽曲を演奏なさっています。私にはアニー・ダルコさんの演奏がしっくりきました。ペダルを使わず、スタッカートでとばしている演奏もありましたが、あまり牧歌的な感じを受けませんでした。

 

パヴァーヌロンド形式でありますが、接続部分がほとんどなく、唐突な印象を受けます。しかし、メロディや和声の醸し出す何ものにもかえがたい美しさが、欠点を覆い隠していると思います。長谷川良夫著、作曲法教程にも、ラヴェルの緩徐楽章はメロディ命であると記されています。

 Ⅲ度 Ⅵ度の多用対照部(C)の教会旋法の色彩感、などにより中世的な印象を受けます。

 

 

作曲法教程〈下巻〉 (1953年)

作曲法教程〈下巻〉 (1953年)

 

 

循環部A 

 

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循環部A〜譜例1〜

赤と青で囲んだ音は、交互に配置されています。音域が離れているところから、2つの楽器を、最初から想定して書いたのではないかと思いました。念のため、オケスコアを確認しますと、赤丸=コントラバス 青丸=チェロとなっていました。ちなみにオケスコアでは弦楽器全体に弱音器をつける指示があります。これは単に音を小さくするだけではなく、霧のかかったような雰囲気を欲しかったのだと思います。

 

譜例1の2小節目の和声はⅢ¹(Ⅲの第一転回)→Ⅵ となっています。Ⅲはドミナントとトニックの役割があります。この場合はドミナントです。ドミナントとして使用する場合は、第一転回形を用いることが多いです。トニックとしての使用例は後ほど記します。

 

Ⅲ度の和声については、和声〜理論と実習(音楽之友社ではほとんど触れられていません。

下記の大和声学教程では扱われておりました。ただ、この書籍は絶版となっているため、プレミアがつき高価です。ちなみに私は、大和声を終えてから、和声〜理論と実習をやりました。大和声は古い世界観でもって書かれておりますが、自由度が高い印象がありました。(ガチガチの決まりがないため難解です。)和声〜理論と実習は、基本をマスターするのには避けて通れない世界でしょう。

実際の作曲では、縛りからいかに脱していくか!自分の世界を構築できるかが大切です。現状は音楽が切望されていない時代となっていますので、学んだことを土台として、自分なりの新分野構築が必要ではないか?と私は感じております。

大和声学教程―機能理論に基く和声運用の実技 (1950年)

大和声学教程―機能理論に基く和声運用の実技 (1950年)

 

 

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Ⅲ度トニック実例〜譜例2〜

譜例2Ⅲ度をトニックとして使用した例です。2小節目はサブドミナントに進んでいますね。

対照部B

調性はh-moll(現調のⅢ度調)に転調します。循環部AのⅢ度がより強調されていると、感じさせられます。

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対照部Bはじまり〜譜例3〜

譜例3の最終小節、黄緑で囲んだ部分は特徴的な五度の連続。東洋的な感覚においては、二度や七度などの当たる音を美しいと感じるそうです。五度の連続も同様です。

循環部A1

 循環部Aの変奏です。

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循環部A1〜譜例4〜

譜例4はオーケストラを想定して丸をつけてあります。赤で囲んだ和声はチェロ青はビオラ黄緑で囲んだ部分はヴァイオリン2ピンクで囲んだメロディは木管楽器です。ヴァイオリン1はファゴットと共に和声を補填します。

オケスコアをみると、赤で囲んだ和声はそのままチェロのパートに置き換えることができているので、作曲者は最初からオケ版を作るつもりでかかったのかもしれないと、思っています。

対照部C

 

大部分が教会旋法によって書かれています。下記譜例5対照部Cの入り口をg-mollと記している方もいますが、私はGドリアと考えます。その後はGミクソリディアに移旋(別の旋法に変わる)します。

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前半〜譜例5〜


譜例6Gドリアの音階です。g-mollであれば、赤い丸をつけた音eは半音下のe♭です。譜例5のC、e♭はなくeが選ばれていることがわかります。したがってここは、Gドリアと解釈すべきではないでしょうか?

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Gドリア〜譜例6〜

譜例7Gミクソリディア譜例5の2段目1小節目後半からは全てミクソリディアの構成音で書かれています。

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Gミクソリディア〜譜例7〜

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後半〜譜例8〜

譜例8対照部Cの後半部分です。前半のGドリア、Gミクソリディアが完全4度上に移高され、Cドリア Cミクソリディアとなります。そしてC1の手前で短旋法(短調に移旋され、一旦現実に戻ります。ちなみに長調を長旋法、単調を短旋法という呼び方があり、これはdur mollが教会旋法から発展してきたことを示すものであります。

対照部C1

Cの繰り返しです。こちらも最初からハープを入れる設定にしていたのか、オケスコアでもハープのみがバリエーションされています。

 

循環部A2

循環部Aの変奏です。オーケストラ版では、伴奏音型をハープがとります。循環部A A1は弱音器つきの弦のpizz.がとっています。

音源


Bertrand Chamayou — "Pavane pour une infante défunte" (Ravel)

 フランソワの録音もありましたが、あまりに遊びすぎていると感じたので、同じフランス人の ベルトラン=シャマユさんの演奏にしました。素晴らしいと思います!

 

それからフジコ=ヘミングさんの演奏、個性的で良いと思いましたので、貼り付けておきます。彼女は耳が悪いのに、よく演奏されていますね!対照部Bの内声、弱音ながら、さりげなく響いてきます。この楽曲に関しては、彼女の演奏は良いと思いました。

 


フジ子・ヘミング~亡き王女のためのパヴァーヌ

 

他の日本人男性ピアニストの演奏(日本では現状最も名の知れた方です)も拝聴させていただきました。楽譜を見つつ、聴いておりましたが、強弱が譜面通りではなく、一本調子です。

対照部Cなどの和声も大きすぎて私の耳にはきつかったです。対照部Cはこの楽曲のクライマックスだと私は思っていますのに。シャマユさんの演奏と聴き比べれますと、全く違う楽曲のように感じる方もいることでしょう。教会旋法を使っており、古めかしい雰囲気が、譜面からは滲み出ておりますのに、音符の奥にあるものが別物に変化していました。

この楽曲のオケ版、本文にも記しましたように、弦は最後までコンソルディーノです。つまり柔らかで、霧に煙るような音が要求されています。ラヴェルはピアノ版のときから、オケにアレンジすることを想定して書いていたのではないか?ということも記しましたように、常にオケの楽器をイメージして弾いたほうが良いと、私は勝手に思っております。

譜面にfがないわけではありませんが、f=大きな音というイメージではないように、思います。そのへんが、私の感覚とはかけ離れているように思いました。

いずれにしましても、私は非常に驚くと同時に、音楽の世界に大いなる疑問を感じました!! 

 

次回の楽曲は未定ですが、近代までの楽曲を続けて分析していきます。

尚、無料ワンポイントレッスンは終了いたしました。何かありましたら、コメントをいただきたく思います。どうぞよろしく。

 

即位パレード

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本日は即位パレードでした。猫目石一家はあまり関心はなかったのですが、昨日六本木のスーパーに恒例の週末ショッピングに行きましたところ、「明日の配達は時間のお約束ができません」と言われました。

われわれは明日の早くに必要な物品はありませんでしたので、「いいですよ。」といい、戻ってまいりました。本日の配達は10時半頃していただきまして、スムーズでした。配達のお兄さんに伺ったところ「すでに交通規制してますよ。何が起きるかわかりません。」とおっしゃってました。早めに頼んでおいてよかったです。午後からだったらおそらく夕方になったでしょうね。

猫目石一家は、午後からトイレ掃除をはじめました。一段落ついたところでtwitterを拝見しましたところ、青山一丁目から乃木坂まで手荷物検査の行列が続いています」との書き込みをみつけました。ばぁさんはめんどくさがりなので、金平が外を見にいくことにしました。

いつもは静かな乃木坂がざわついておりました。警察の車両が片側を封鎖しておりました。でも、外人さんがジョギングしていたり、逆方向の六本木に行く人なども多いように思いました。>即位のパレードが始まる前。

twitterによれば、乃木坂駅が人で溢れていたようですね。われわれ出不精になってしまいまして、よその土地に行くことも少なくなっています。>特に渋谷方面 そのため乃木坂駅構内に入ることもあまりないのですけれど、街全体が混み合っていることなんて、数えるほどだと思いますよ。

 

出不精の件。

猫目石一家、まさか義理親の介護にこれだけ時間をとられるとは、以前は思ってもおりませんでした。自由がきかず、心が重い。いつかは終わることでしょうけれど・・・今後の見通しがつきづらいといいましょうか・・・施設に任せていたとしても、放置して遠出することは到底無理でありますね。しかし、最近仏教に触れ、マインドフルネス瞑想を実践してからというもの、少しづつ生きることが楽になってきております。義理母の面倒をみるのも、未来につながる何らかの出来事なのでしょう。

突然ばぁさんが愚痴を吐き出しまして、すみません〜 

で・・・われわれもネットで即位のパレードを見ることにいたしました。いつもの見慣れた道を映像で拝見いたしますと、美しくみえますね。赤坂支所(役所)もみえましたし、赤坂郵便局も見えました。青山一丁目交差点あたりには人が溢れかえっておりましたわ。映像の世界ではありながら、見られて良かったやもしれません。次回はばぁさんは生きながらえておるかどうかもわかりませんし、金平はよそのうちに養猫に出されているやもしれません。

一人と一匹でみるのは、これが最後でしょうか? 

あちこちに話が乱れ飛んでおりますが・・・即位の礼の日。多くの方が書いておられますが、不思議なことが起こりましたね。猫目石家もそれを体験いたしました。


東京・お台場の空に虹 「即位礼正殿の儀」に晴れ間【藤本万梨乃】

 

上の映像にありますように、午後1時頃に突然雨が止み、青空が広がったのです。このとき、豊福一家の猫さんがひょっこりと顔を出してくださいました。

「金平さまご無沙汰しております。突然晴れましたね。天照大神さまも祝っておられます。」

「あれ、豊福三郎さま。お久しぶりです。やはりそう思われますか?天の岩戸が開いたとわれわれも睨んでおりますよ。」

「令和は良き時代になるでしょうな。天皇さま、今までになくできたお方だと猫仲間でも話題にのぼるほどです。」

「ばぁさんの話では、悪口を叩いておる人もいるらしいですがね。」

「きっとその方たちは、おヒマなのでしょうな。それともご自身が恵まれていないので、憂さ晴らしでしょう。そのうち忘れますよ。さて、豊福のうちでは本日、令和を祝って食事会をする予定でして・・・準備がございます。また伺います。」

「そうですか?もっと天候が良くなりましたらゆっくりお話ししましょうや。遊びにおいでくださいませ。」

「ありがとう存じます。」

そういって、三郎氏は去っていきました。猫族も祝福しておる、令和の時代の幕開けです。

 

 

義理母 不思議体験

先週、義理母のところに見舞いにいってまいりました。義理母、認知症とのお墨付きをもらっておりますが、100%ではないようです。記憶が曖昧なときもありますが、たまにものすごく理解力があり、驚かされる時もあります。

 

先週も、猫目石一家のピアノ演奏(オリジナル曲で)を聴かせたところ、「この曲は、物語になっているの?」と尋ねました。金平は「そのとおり!この曲はポエムと連動させているんだよ。今聴いてるとこは、嵐が静まっていって星が落ちてくるところだよ。」と説明しておりました。後ほど、われわれ「ばぁさんって曲がわかるんだね。一度も聴いたことのない曲でも、理解できてる92歳ってすごい。普通なら先入観とか、権威で判断するのにね。」と盛り上がりました。

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このように、直感が鋭く、多少の霊感があると思われる義理母。口をもごもごさせながら「最近怖いことがあったの。どう説明したら良いのか、難しいけれど・・・寝ている姿を自分が見ているの。」と言います。「もしかして天井から下を見下ろしているの?」と金平が尋ねましたところ、「そうだ」と言います。

 

「それはばぁさんのもう一人の自分が抜け出して、天井からみていたんだよ。われわれ最近とある仏教のお坊さんの話の中で、同じ場面を体験した人が紹介されてたよ。その人も怖くて、真実が知りたくて、あちこち訪ね歩いたらしい。何年か経って、ようやくそのお坊さんのところにたどり着いて、納得できる答えをもらったんだよ。」と金平に教えられておりました。多くの方は義理母のことを、重度の認知症と思われるかもしれません。しかし、全く違っておりました。下記をごらんくださいませ。

gendai.ismedia.jp

 

 宗教には、肉体は滅びても魂は永遠じゃという考え方がありますわね?これは、魂=もう一人の私という考え方でして、もう一人の自分に出会うためには、今いる場所から出る必要があると説かれております。上記リンクによれば、脳の中には、自分を外側から見る回路があるんだそうです。ということは、宗教と脳科学には共通項があり、宗教は非科学的だと頭ごなしに切り捨てることはできないと思いました。

 義理母は、なんらかの原因により、自分を外側からみる回路が強まったのでしょうね。臨死体験をした方が、義理母と同じことを書いておられましたので、われわれも「義理母は死の世界に一歩近づいたのか」と少々悩みましたが・・・ニュアンスが違ったようです。

相変わらず食欲旺盛でして・・・猫目石のばぁさん、おいしそうなものを選びつつ、金平に背負わせて運ばせております。

 

ひとつ不思議に感じるのは・・・われわれがマインドフルネス瞑想に手を染めてから、義理母が幽体離脱体験をしたことです。のようなものが、義理母に伝わったのやもしれないとも感じているんです。→道元の遺言の一つに「不忘念」という言葉あります。いつも本当の自分(魂の自分)でいなさい。ということです。要するに自分をいつも外側からみつめていなさいということです。

今後の猫目石一家にとって最重要な事柄を、92歳の義理母が体験を通して教えてくれたのだと信じております。

猫族、人族という垣根を超えて、以心伝心ってあるのだとも実感いたしました。義理母との深い縁を感じた日ぃでございました。 

 

マインドフルネス瞑想の効果

何事も続かない猫目石一家でございますが、マインドフルネスの瞑想だけは続いています。すでに1週間以上、1日/20分瞑想しております。下記、山下先生の「マインドフルネス✖️禅」を参考に、以前にやっていた活元運動を加えるときもあります。

山下先生の瞑想方法は、禅宗+テーラワーダ仏教の良いところを組み合わせて、独自に開発した「ワンダルマメソッド」というものらしいです。最近はこの本も少しづつ読み込みまして、肉体をもつ自分と魂の自分の2重構造についても理解できるようになってきました。

宗教はうさんくさいとか、現実的じゃないと思うのは、大衆猫に理解できるように指導できる方が少なかったせいではないでしょうか?猫目石一家も、少し前まで瞑想などと言われただけで、猫パンチをお見舞いして立ち去っておりました。(瞑想といえばスピ系の高額セミナーが頭に浮かぶからです。今でもスピ系は嫌いですけれどね。)

ただ、亡き義理父が森田療法東福寺の近所にあった三聖病院)で救われた経緯があったり、先祖が寺だったものですから、禅にはそれほどの違和感はありませんでした。禅の教えは日本猫の生活に根付いているやもしれませんわ。

 

で・・・・瞑想の効果ですが、如実に表れてきておりますよ!

猫目石ばぁさんの右目(軽い白内障 強度近視 飛蚊症は非常に悪く、昨年の秋くらいから結膜炎(アデノウイルス結膜炎も含む)、角膜の傷、目がしょぼしょぼするなど、目薬が手放せない状態が続いていました。しかし現在は右目を意識することがなくなりました。本当です!!!金平もびっくり仰天です。眼科に行って目薬をもらう必要が(現状では)なくなってしまいました。→綺麗な目をしているんですよ!

すでにばぁさんの同級生は白内障の手術を受けておられますが、以前のようには見えないとのこと。Lineでチャットしていても時々、とんでもない絵文字を送ってこられるので不思議に思っておりましたら、指先が見えないそうなんですね。まぁ、年寄りだから仕方がないと思いつつ、ばぁさんは不安に思っておったそうですよ。

目の悪すぎるばぁさんは、普通の手術が受けられるかどうかもわかりませんしね、将来を不安視しておりました。この不安がなくなった(全く目が痛まず、不安感がない)のは、われわれにとっては嬉しい出来事なんです。

 

他には、以下の記事に書きました坐骨神経痛。左足裏だけがしびれる症状はほぼ完治だったのですが、瞑想を始めてからというもの、靴に大きく緩みが出始めました。しびれが出てくる2年ほど前から、時々左足が腫れており、靴がきついと感じることが多かったのです。

mizuki-shiro.hatenablog.com

 

もともと猫目石一家は、一般より手足が小さく生まれついておりますのに、ワンサイズ大きな靴でなければ痛くて歩けないって、おかしいですよね?今は元のサイズよりもっと足が痩せたやもしれません。靴がゆるゆるです。歩いていても、足を意識することがなくなりました。

 

他には・・・急な坂道を登るとき、ばぁさんはひぃひぃ言っておりました。それが今は、しっかり坂道に足をくっつけて楽そうに登っておるのです。腹筋運動をしたわけでもなく、特別な運動をしたわけでもありませんのに・・・これは瞑想の効果としか考えられません。痛めた腰が完治したのやもしれません。

 

下っ腹が小さくなりつつあることもあげておきます。メタボの方にも効果ありそうですよ。こういうのって、ダイエットしてもなかなか難しいのですけれど・・・いつの間にか小さくなっておるのです。腹式呼吸の影響でしょうか?

 

集中力がつきましたね。これは身体が良くなってきたせいもあると思います。

他に、夢をみなくなったこと。睡眠の質が良くなったのだと思います。ほんっとうに、いつ寝たかわからないほど寝入っているんですよ。

 

不安、病、心配などは自分が作り出したものだと、山下先生のご本には書いてありました。自分で作り出したものであるから、自分で刈り取らなければならないとも思いましたね〜 実際刈り取って、結果が出ているのですから、この瞑想はわれわれに向いているのではないかと考えております。

 

そして・・・最近は猫目石一家の創作した音楽をかけつつやっております。すごくリラックスできますね〜 他の方もわれわれの音楽は寝落ちできると言われましたので、ストレス解消、自律神経を整えるなどの効果をもっておるのやもしれません。

 

決して癒し系ではないのですが・・・大げさにいえば、魂の救済に通ずるところもあるやもしれません。こういうのって、マインドフルネスをやって気づいたことです。

なんだか、いろんなことにつながっていきそうですわ。

 

他にももっと不思議な現象もあるのですが、あまり長くなってもみなさんのご負担になりますので、記事を改めて書きますね。あ、スピリチュアル的楽曲分析は今やっておる最中でございます。もう少しお待ちくださいませ。

 

お迎えが来つつあるのか?

猫目石一家、92歳義理母の見舞いに相変わらず通っておりますが、だいぶ方向性が変わってきたように思います。多少は楽になりました。

 

ちょっとくらい施設の職員さんに怒られても、文句を言わなくなりました。1年前はかなりの文句屋でした。→ボケが進んだのかもしれません。

 

また、猫目石家の生活が今月から変わり、前の晩に夜更かししても、無理して起きる必要がなくなったことも一つの理由です。以前は義理母の施設訪問の日は、常に寝不足でした。加えて、マインドフルネスの瞑想が効いていると思います。>如実に!(これはまた後ほど記事にいたします)

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義理母、先々週までは、義理父が亡くなったことをどうしても認められなかったようです。ところが亡き義理父が上機嫌で夢に現れたようでございます。義理母は夢と現実とが混在しているらしく、「パパさんがきてね〜」とまるで生きているように話しておりました。「パパさんはどこかの施設にいるの?」と、金平に質問しておりましたよ。

 

金平は何度も「パパさんは2017年に亡くなったよ」と教えてあげましたのにね〜 

 

少し前には、義理父の顔も忘れたと言っておりましたのに、ゆで卵が大好きだったことを思い出したようです。記憶がまだらなんでしょうね。

 

われわれ、義理母の記憶力テストのために2週続けて「パパさんが来たんだって?」と質問してみました。認知症は短期記憶ができないといいますね?それなのに義理母、しっかり覚えておりました。

ということは・・・もしかしたら亡き義理父のお迎えのはじまりではないか?とも思い始めました。

 

お迎えが来なければ、絶対に向うの世界にはいけないそうです。どこかの医者さんが書いていました。母もそうなのやもしれません。

 

ただ、義理父は自然に亡くなっていました。誰も亡くなったことに気づかず、朝になって義理妹が訪れてみると、倒れておったようですよ。(その日は猫目石一家は、お見舞いに行くと約束していた日でして、出かけようとした矢先に亡くなったと一報が入りました。死に目には、誰一人として会えませんでしたね〜)

 

義理父はお迎えが来たなんてことは、一言も言っておりませんでした。ただ、亡くなる一ヶ月ほど前に、「もう生きられない」とつぶやいていたことより、死を受け入れていたのでしょうな。

 

義理母については、ほんの少し耳が遠くなってきたようにも思いました。以前は地獄耳でしたのにね〜 人間は耳から衰えるときいたことがあります。まぁ、92歳ですから仕方がないとは思います。

 

話の理解力はあります。仏教の話は興味深そうに聞いておりました。施設でも仏教の話をしてもらえば、いいのにと言っておりました。われわれの話に相槌を打ったりもしておりますし、突拍子もないことは言いませんので、よしとしましょう。

 

いつ亡くなるかわからない大年寄ですので、制限を設けず、好きなものを食べていただきたいと思っております。こうやって世話ができるのも、猫目石一家が仰せつかったお役目だと思うようになりました。今しかできないことを優先すべきなのでしょう。多忙ですが、われわれがやるべき別のお役目もスムーズに進んでおります。これも例の瞑想と出会ったおかげだと思っております。