天空の縁側

天空の縁側

作曲家の目を通して、アートや日々の出来事などをあるがままに綴っていきます。

高齢者施設は人間関係が窮屈

先週も母の見舞いに行ってきました。櫛と女性用電気シェーバーが必要と言われて、持参しました。購入したのは、私が以前から愛用しているもの。

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 これは、高齢者だけではなく、肌の弱い女性にも向いていると思いますし、危なくありません。不器用な方にも眉の手入れが簡単にできることが良いです。目と目の間もすんなりと剃ることができます。

母は、入所前から顔を何年も剃っていなかったように思います。顎には長いヒゲが生えて、顔も産毛だらけです。来月は美容師さんがきてくださるので、お手入れしてもらうのかもしれませんね。

ところで・・・

90代にもなれば、生きているだけでも不思議だと言われます。医師には、寝たきりになれば、長生きだとも言われてました。母が入所した昨年9月の時点では、あと5年は生きるだろうとのことでした。

医師の判断はほぼ正確なのだと、私は思っています。

父が亡くなる直前は1ヶ月ほど寝たきりになりました。そのときも、あと2週間しか生きられないと医師に告げられましたところ、きっちり2週間で亡くなってしまいました。

母の命があと5年弱であるとして、ずっと今の施設に入所していることができるだろうか?と思うことがあります。

母はラジオを聞くのが唯一の楽しみです。先日、一人の介護士さんに、突然ラジオを消されてしまったそうです。部屋を閉めて、それほど大きくない音で鳴らしているのですが、よその部屋に音が漏れたのでしょうか?

母は「戦争中よりひどい」と言っておりました。「好きなことは何もできない、こんなところにいたいわけではないから、出て行く」介護士さんに抗議したようです。介護付き老人ホームでは、規則正しい生活はできるのですが、気持ちのゆとりがありません。

レクリエーションなどもありますが、母の好みのものは少ないようです。他の施設では、音大生のボランティアがコンサートにきてくれたり、楽しそうなことがありますのに、母の施設ではないのですよね。代わりに、ラジオを聴いているわけです。

母をみていまして、私が高齢になったときにはできるだけ施設には入りたくないと思いました。規則に縛られて窮屈な思いをするだけではなく、施設の人間関係に気遣って遠慮して接する。何のためにお金を払っているのか?ということになります。多少、義務教育に似ていると思いました。

私は死ぬ前に、再び義務教育と同じような枠組みに入れられるのは、我慢できません!このように考えると、母が気の毒になってきました。せめて、食べるものくらいはと思い、施設では絶対に出ることのない、質の高い食べ物を差し入れています。

ある意味、母が施設入所したことで、現実をみられたことは良かったのかもしれません。そしてできることなら、最後はもう少し自由な環境に連れてきてあげたいと、思うようになりました。